2010年4月14日水曜日

ジャーナリストの宿命

ロイター通信のカメラマンの方がなくなられた。
タイでのデモ隊と治安部隊との衝突の犠牲者になった。
前回のブログで戦争ジャーナリストの話を認めとてもこの事件が印象に残っている。

カメラマンもジャーナリストとくくって話してしまうが、
彼らがいなければこの惨状は伝わらない、
結果として命と引き換えにデモ隊と治安部隊の衝突の凄まじさを伝える形になってしまった。
ご家族の方々の心中は察することができないほど悲しいものだろう。

しかし、死者が出たとしてもまだそこには争乱があるわけで、
たくさんのジャーナリストがそこには集まる。
そのおかげで世界中の人が現状を知ることが出来る。

争いは二者で行われる場合必ず、それを傍観する第三者がいる。
だから第三者にも被害が及ぶ。
第三者がいなければ、抑止力にならない。
ではジャーナリストの死は必要なのか
必要な死なんかない。

争いがなければ被害は出ない。
タイの争乱もお互い様なところが多くある。
早くどちらも気づく必要がある。
立場上、政府側が気づくべきかな。

犠牲者が国内の争いで出てはいけない。

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